以前書いたジャニス・ジョプリンの「パール」と、
ディープ・ソウルのブログをYouTube用に再編集しました。
今回取り上げるのはジャニス・ジョプリンの「パール」です。
30年以上前に聞いてはいたのですが、
ずっと聞いていなくて、今回何気に再生チェックがてらに聴いてみました。
演奏はジョン・ティルのギターとクラーク・ピアソンのドラム、
オルガンのケン・ピアソンと、
いずれもジャニスのバック以外では見かけない演奏陣だが、
ジョン・ティルとケン・ピアソンはロニー・ホーキンスのバッグで演奏してたらしく、
言ってみれば第二のザ・バンドです。
彼らの名称は「フル・ティルト・ブギー・バンド」。
ジャニスのボーカルばかりが取り沙汰されるが、
このR&B、カントリー、ゴスペルを消化したと言うより、
もろソウル・ミュージックのようなロック・サウンド、
ただ、ソウルよりヒップな感じのイケイケ。
プロデューサーはドアーズを手がけたポール・A・ロスチャイルド。
西海岸ロックとして、モントレーとかの演奏聞くと、
当時の在籍していたバンド、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーは、
やはり僕の中ではイマイチ感が強く、この時代
クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス
グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレインの方が演奏が圧倒的で、
長尺のグルーヴ奏でるにはビッグ・ブラザーはきつかったのではと思います。
ただ、この当時ジャニスのパーファーマンスは評判は凄かったと。
しかし、この「パール」は録音も良いし、演奏の質も高いし、
ジャニスの声もアカペラや、
ジェリー・ラゴヴォイが手がけた
ガーネット・ミムズ、ハワード・テイトのカヴァーが3曲と、
ディープ・ソウルをここまでロック・フォーマットでやった人は稀有では。
ブルー・アイド・ソウルの女王にふさわしい人だと思いました。
ちなみにジョン・ティルのギターが素晴らしく、
一番のお気に入りはハワード・テイトのカヴァー
「愛は生きているうちに」。
この曲のジョン・ティルのギター・ソロは実に美しい。
「ジャニスの祈り」のギター・ソロもスッポリと曲の中に収まって、
ツボを押すような感じで、
聞き手に印象を残すメロディアスなソロを弾きます。
しかしながら、やっぱり、この可愛げな声を潰してまで、
ソウルに徹して歌う彼女の歌声はカリスマですね。
ハマると何回もリピートしてしまいます。
先ほどからあげてるディープ・ソウルですが、
ガーネット・ミムズとかソロモン・バークですね。
プロデューサーはジェリー・ラゴヴォイやバート・バーンズが手がけた、
ニューヨークのサウンドをイメージします。
ソロモン・バークとかの彼の初期の演奏なんかもカントリー色があったりで、
都会派ディープ・ソウルはサザン・ソウル確立の前だけど、
サザン・ソウルよりカントリー色(田舎ぽさ)があるのは、
当時NYのアトランティックで録音してたレイ・チャールズの影響なのではと思います。
ディープ・ソウルはコール&レスポンスのゴスペルが基本にあります。
だから歌声が非常に力強いです。
ジャニスの力強い歌声は彼らを聞き込んでのものだったんでしょう。
ブラック・ミュージックとカントリーの融合と言えば、
エルヴィス・プレスリーです。
先に挙げたレイ・チャールの「アイ・ガット・ア・ウーマン」「ホワッド・アイ・セイ」を
エルヴィスはカバーしています。
相当影響をレイから受けたのではと思います。
黒人音楽とカントリーの融合したものが、ロックであり、ディープ・ソウルだとしたら、
これの1970年代の完成形がジャニスの「パール」だったのでは。
だから1960年代後半から1970年代初頭、あれだけロックが熱かったのは、
彼女やジミヘンが、当時のオーティスやアレサ、ジェームス・ブラウンに憧れ、
超えようとした結果、
薬などで身を削って歌い、身を滅ぼし、死に至ったのではないかと。
これでこの時代の、非常にパワフルな魂溢れるロックン・ソウルは
二人の死で1970年代初頭で終わりを遂げました。
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