福岡の中古レコード販売・買取店アッサンブラージュです。
年末年始の休暇を使い、このようなブログを書くことにしました。
行く行くこの時代のことを思いついたらこのブログ記事に追加していきます。
「戦前ジャズ・レコード名盤」としたのは中古レコード店で検索にヒットさせたいがためのタイトルであり、レコード紹介というよりミュージシャンの紹介です。
何卒、ご理解下さい。
あっ、この時代のジャズレコードやCDの買取はそんなに高くないです(笑)
R&B/ブルース/ロックンロールはそれなりの価格で買取ます!
もちろんジャズ・レコード・CDも買取大歓迎です(できたらモダン・ジャズ)。
好きが高じて書いております。
けっこうアバウトな性格なので、データの間違いやとんちんかんな所もあるかと思います。
なるべく、音を実際に聞いた印象を正直そのまま書いているので、何卒、そこもご了承ください。
参考文献として、中村とうよう氏、瀬川昌久氏、油井正一氏、小出斉氏、ガンサー・シュラー氏、その他ネットの記事などを参考にさせて頂きました。
ありがとうございました。
キング・オリヴァー
ニューオリンズの管楽器のスタイルとラグタイムのシンコペーションとブルースを合わせた最初のジャズのスターで名前が出るのはオリヴァーやモートンです。
オリヴァーはルイ・アームストロングやジョニー・ドッズら名手を楽団に入れ、その名の通り「キング・オリヴァーと彼のディキシー・シンコペーターズ」はニューヨークで人気を博しました。
また人気のベッシー・スミスやテキサス・アレクサンダーなどのブルース・シンガーのバックを務めたのもジャズがブルースに根ざしている証拠でもあります。
ジェリー・ロール・モートン
ピアニストであるモートンはラグタイム・ピアノを基本としたバレルハウススタイルなるもので、彼のスタイルに合うミュージシャンが見つけづらく、1930年代以降彼のスタイルが通用しなくなったのもわかるが、初期ジャズのシンプルなシンコペーション・サウンドにのる彼のピアノは粋で、彼の得意なストンプではジャズの勢いを感じさせます。
彼の名前から同じピアニストであるロックンロールのジェリー・リー・ルイスを思い浮かべます。
フレッチャー・ヘンダーソン
1920年代初期、ニューヨークでのスウィング・ジャズ界最初のスター楽団であり、コール&レスポンスのアフリカ系音楽を最初に私に意識させた楽団であります。
ルイ・アームストロングも一時在籍しニューオリンズ・ジャズのエキスを取り入れ、より黒人色の要素を強め、大人気の女性ブルース・シンガーであるベッシー・スミスの伴奏も行っている。
彼のスタイルは洗練されてテンポも速く、先にあげたオリヴァーやモートンより都会的に聞こえ、後に一大ブームを巻き起こす白人のベニー・グッドマン楽団の編曲を手掛けるもの頷けます。
デューク・エリントン
エリントン楽団は独自の美を貫きました。
「ジャングル・サウンド」というアフリカ色の強烈なグルーヴを持ちながら、「公爵」の名の通り、ジャズを優雅な芸術にも聞こえるよう編曲し、かの高名な「コットン・クラブ」の専属バンドとして、その後も様々な音楽的冒険を試み、孤高の巨人として、ジャズ界にそびえ立っていました。
彼のスウィング・サウンドは誰も真似できないのではと思います。
ルイ・アームストロング
ジャズにおいて最初に現れた天才であり、また彼以上の才能が現在まで現れていないのでは。
ルイ・アームストロングのトランペットは黒く、大きく、太く、鋭く、光り輝いています。
小編成でのホット・ファイヴ、サヴォイ・ボールルーム・ファイヴ、ホット・セブン名義での1920年代半後半の録音は、今に至るまで他の誰からも追随されていない「モダン・ジャズ」の金字塔です。
彼の演奏、スキャットには、ニューオリンズ・サウンドとブルースが全編に染み渡っています。
またアール・ハインズ、ロニー・ジョンソン、ドン・レッドマン、ジョニー・ドッズと才能溢れる人材がこれらの小編成バンドを構成したのも大きい。
カウント・ベイシー
1920年代末からの世界大恐慌でレコード業界はドン底まで落ち込み、作られるレコードは万人受けするソフトな白人歌手や大物の楽団に限られてきましたが、1930年代半ば、景気が回復するにつれ、黒人たちの血が再び騒ぎだしたのか、今でいうアンダーグラウンドのような形でカンザスシティからリフを連発し、否が応にも熱を持ったジャズが生まれました。
そのカンザスシティ・ジャズを代表するのがベイシー楽団であります。
彼の楽団はレスター・ヤングを始め優秀なプレイヤーが次々と素晴らしいソロを取り、後にR&Bを代表する歌手となるジミー・ラッシング、ビッグ・ジョー・ターナー等を配し、リズムをキープするのは鉄壁のオール・アメリカン・リズム・セクションと呼ばれるメンバーで、この勢いでニューヨークに乗り込み、より強烈なビートを持つスウィング・ブームを巻き起こします。
R&Bを作り上げた初期の大貢献者です。
アンディ・カーク
ベイシーと並ぶカンザス・シティの雄、アンディ・カーク楽団!
キレとタメ、アレンジ、テクニック、超一流の楽団であります。
その中心を成したのがピアニスト兼編曲者のメリー・ルー・ウイリアムス。
ジェイ・マクシャン
かの天才チャーリー・パーカーを配し、カンザス・シティを席巻したマクシャン。
荒削りな感じがカンザス・シティらしい中に、パーカーの流暢なソロも登場します。
1940年代後半にスモール・コンポに転じて、ブルース・シャウターのジミー・ウィザースプーンをフューチャーして、1949年に「Ain’t Nobody’s Business」をヒットさせmR&B・ブルース・バンドのはしりの一つとなりますが、この曲で見事なサックスのソロをとるのがベン・ウェブスターであります。
チック・ウェッブ
1930年代後半、カウント・ベイシー、アンディ・カークなどのカンザス勢にニューヨークで待ち受けていたのがドラマーでリーダーであるであるチック・ウェッブです。
「サヴォイ・ボールルーム」などのダンスホールで彼らは競い合いました。
そんな熱狂がR&Bやロックンロールへと繋がっていくわけです。
オリヴァーやモートンなどの20年代ジャズの後、聞いたところ、ボーカルはシャウトし、リズムは強く、音は分厚く、約20年の時の流れを感じさせます。
アースキン・ホーキンス
カンザス・シティ・ジャズに対抗したニューヨークのアースキン・ホーキンス楽団は、ハーレムの黒人国歌と呼ばれたブルースの「アフター・アワーズ」が何よりも印象的である。
ピアノのエイヴリー・パリッシュの3連音符の強調が強烈で、その打楽器的な単純な手法が、この時代のジャズがアフリカにルーツを持つ肉体性を持っていたことを象徴し、「黒人国歌」と呼ばれることに異論はない。
ラッキー・ミリンダー
ジャズの楽団と分類されるかどうか分からないほど、大衆に媚びを売り、ダンス/R&Bの熱狂を象徴するのがこのミリンダー楽団であり、彼自身は演奏をしないものの、そのセンスは抜群で、ゴージャスでいて、美しくもあります。
しかしながら、これらの熱狂に冷めたクールでヒップな者たちがアンダーグラウンドで暗躍します。
チャーリー・パーカー
これら、ニューヨークでの楽団同士による激しいバトルによる黒人の熱狂を高めるためのリフの連発、ダンス/R&Bへの接近が、テクニックを持った一部のジャズ・ミュージシャンの反発を呼び起こし、仕事が更けた後、クラブで真夜中のセッションが行われます。
それがチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、チャーリー・クリスチャンなどであり、テクニックを駆使した長いソロ演奏や、よりアフター・ビートを強めたブルース感覚、これらがバップと呼ばれ、その後のモダン・ジャズであり、現代で「ジャズ」と呼ばれるものはここから始まりました。
商売的もの、ホットなものに反する、非商業的なもの、クールなもの、これは現代のジャズ・イメージそのものです。
この1930年代後半が、ジャズが「R&B」と「モダン・ジャズ」に枝分かれしていく分岐点であり、その象徴たる破滅型天才演奏者がチャーリー・パーカーであります。
ライオネル・ハンプトン
彼の1942年に発表した「フライング・ホーム」や1944年の「ヘイ・パパ・リ・バ」がR&Bの第一号と言われています。
中村とうようさんが書かれていた「フライング・ホーム」での「途中のイリノイ・ジャケーのテナーの半小節の長さのワンノートを12回連発という手が効果大」。
これこそが、カウント・ベイシーから始まったリフを連発するカンザス・シティ・ジャズ勢とニューヨーク勢が争った結果の象徴たるものであり、この「12回連発」というパワー・ワードがR&B誕生を感じさせるにはいられません。
ビッグ・ジェイ・マクニーリー
その後とうようさんは、このイリノイ・ジャケーのテナーのソロ部分だけを強調したのがホンカーと呼ばれるビッグ・ジェイ・マクニーリーたちであり、ここで完全にジャズの様式美から抜け出し、生々しい肉体的音楽へと変わっていきます。
ここにR&B誕生です。
本日はここまでですが、色々抜けてますし、今後もなるべく更新していきたいと思います。
それでは皆様、よいお年を!
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