YouTube更新しました。
実はこの動画の前にエルヴィス・プレスリーのことを30分ぐらい、じっくり語っていたのですが、スマホの故障で、全てが消えてしまい、適当に「エルヴィス・レコード名盤ベスト10」と流すような動画になりました。
今回、エルヴィスを語るにあたって、先日、福岡の店舗で買取したデイヴ・マーシュ著「エルヴィス」を読み、バズ・ラーマン監督「エルヴィス」とを見直し、じっくり実のある話をしたのですが…。
リベンジで、ここのブログでとりあえずデイヴ・マーシュの「エルヴィス」について書いてみたいと思います。
デイヴ・マーシュ著「エルヴィス」
ゴスペルの影響
まずはゴスペルの影響を彼は強く訴えてる。
白人の賛美歌ではなく、黒人教会のゴスペルだ。
ゴスペルのアルバムは中村とうようが選曲した「ブラインド・ボーイズ・ミシシッピ」をオススメする。
ミシシッピ州のテュペロで生まれたエルヴィスにふさわしい。
アーチー・ブラウンリーの強烈なシャウトと、掛け合いの高揚感からくる快感は、エルヴィスの1960〜70年代ソウル的な曲「アメリカの祈り」「ワンダー・オブ・ユー」「明日への願い」などまで影響を与えているが、サン時代や50年代RCAのロカビリー、ロックンロールでもブルース的なゆったりとした感じより、ゴスペルの熱唱感の影響が強いと思う。
キース・リチャーズが自伝「ライフ」で「『ハートブレイク・ホテル』を聞いた時、エルヴィスは熱を帯びているのにクールで感傷的にけっして歌っていなっていない」と書いていたが、それはゴスペルの無意識のトランス感覚に当てはまる。
サム・フィリップスの凄さ
次に印象的な記述は、エルヴィスと契約したサンのサム・フィリップスのエルヴィスの売り出し方だ。
サムはエルヴィスをカントリーでもない、R&Bでもない、どちらにも属さないオンリー・ワンにした。
そのことで実は「ザッツ・オールライト」でデビュー間も無くメンフィスでは売れたが、全国区にはなっていない。
そのサウンドは白人には黒すぎて、黒人には白すぎた。
後々「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」「ミステリー・トレイン」とより黒っぽさを強調させていき、カントリー畑のみで売れる歌手ではない、何者でもない「エルヴィス・プレスリー」を作りあげた。
それから、RCA、アトランティックといった一流のレコード会社がエルヴィス争奪戦を繰り広げ、パーカー大佐は当時まだ新興のインディ・レーベルだったアトランティックはエルヴィスに契約金を払うと宣伝費が無くなるが、RCAだと金銭的余裕から大規模な広告宣伝をしてくれると目論みRCAと契約した。
RCAでの低迷
次にRCAに移りリーバー=ストーラーやドク・ポーマス以外、エルヴィスの曲を管理していたヒル=レインジはロクな楽曲を提供していないことを強調している。
プロデューサーであるチェット・アトキンスはエルヴィスに興味があまりなさそうだし、パーカー大佐は金のためにヒル=レインジの二流お抱えソングライターを起用し、売れっ子の一流ソングライター・チームがいるブリル・ビルディングの面々を起用しなかった。
スティーヴビンダーとフェルトンジャービス
映画をサントラの日々が終わりテレビ・プロデューサーであるスティーヴ・ビンダーによる「68カムバック・スペシャル」で復活を遂げるが、その間にチェット・アトキンスからプロデューサーはフェルトン・ジャービスに変わっている。1960年代後半からエルヴィスは歌う方向に変化していき、それが本人の意思ではなくとも、「オン・ステージ」以降の代わり映えのしないステージでも、エルヴィスのテクニックで次々と我々をハッとさせてきた。
「ロックだった」たった一人の男
マーシュはこのように締める。
「エルヴィスはアメリカ的な何かである。夢と幻想の新しい広大な風景に挑んだ探検家だった。自分の夢の最高のものが実現しないことを拒み、他の誰の概念にも定義されることを拒んだ男だった。これは民主主義の目的地であり、その旅の大半を一人でやり遂げた」。
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