『ロックの名盤はまずアナログで』

レコード・コレクターズ元編集長 寺田正典

 今年の秋もまたロックの歴史的名盤が「拡大盤」となって帰ってきた。そのうちの一作、ザ・ビートルズの『レット・イット・ビー』は、1970年、当然ながらアナログ・レコードとしてリリースされたアルバムだ。ご存じの方も多いと思うが、このアルバムは最終的に米国の大物プロデューサー、フィル・スペクターが完成させて1970年5月にリリースされるまでに大変な紆余曲折があった。その紆余曲折の間に、最初に制作を任された英国のこれまた有名エンジニア/プロデューサー、グリン・ジョンズが『ゲット・バック』というタイトルの下でまとめた未完成、あるいはメンバー未承認のアルバムが存在しており、今回の拡大版(スペシャル・エディション)の「スーパー・デラックス」には、昔ラジオでゲリラ的に放送されたり、ブートレグ(海賊盤)として密かにマニアの間で聴かれたりしているだけだったその『ゲット・バック』が、『レット・イット・ビー』の最新リミックス・ヴァージョン+アウトテイク集に、まるごとボーナス・アルバムとして付いてくるというロック史的にも興味深いリイシューとなった。

 しかし個人的にややわかりにくかったかなと思うのは、その『ゲット・バック』をかなり意識して選曲なども一部変更した『レット・イット・ビー』のリミックス作品『レット・イット・ビー…ネイキッド』がすでに2003年にリリースされていたことだ。 これで『レット・イット・ビー』には、70年リリースのオリジナルの他に、2003年の『ネイキッド』、そして今回リリースされたジャイルズ・マーティン(ビートルズのプロデューサーだったジョージの息子さん)によるリミックス盤、そしてグリン・ジョンズ・プロデュースの『ゲット・バック』と、LPやCDの違い、あるいはリマスター盤かどうかといったことを無視した大きな区分けで考えても4種類のヴァリエーションが存在することになる。そんな場合に初めて、あるいは久しぶりにこのアルバムに接しようとする人はどの盤から聴けばいいのか? あるいは次世代にこの作品をどの盤で伝えていけばいいのか? このように、ひとつのアルバムに関しても、ある程度マニアックな情報も押さえて頭の中で整理できていないと迷子になりそうな状況になってしまっている、というのがクラシックなロックを巡る現在の状況ではある。

 『レット・イット・ビー』の例はかなり特殊ではあるが、1980年代末以降、どんどんCDで再発売されるようになったロックなどの洋楽カタログ(旧譜作品)に関しても選択の難しさは出てきている。追って90年代半ばごろから今度は、オリジナル・マスター・テープを改めて探し出し、それを最新技術を使ってデジタル・マスタリングすることで音質向上を目指したリマスター盤CDが次々にリリースされるようになり、さらにその後はボーナス・トラック入りリスマスター盤、アルバム制作時のアウトテイクや関連シングル音源等が収められたディスクがおまけに付いたデラックス・エディションなどの形で、有名アルバムを中心に何度も再発売されるようになっていった。

 また日本では90年代半ばにアナログ・レコードのジャケットのミニチュア版の紙パッケージに収められたCDが発売されるようになったことも大きく、これは間もなく各レコード会社が情報収集を競い合い、発注する印刷会社もその技術を高めることによって、空前と言っていいほどの紙ジャケ・ブームにつながることになる。後にはLPと同サイズの「でかジャケCD」や、かつてのシングル盤サイズの「7インチ紙ジャケ」といったサイズ違いまでシリーズ化されるほどの過熱ぶりとなった。同時に、そこで参照すべきもともとのアナログLPはどれなのか?という探求合戦も起こり、これはインターネットの登場で海外からレコードを個人輸入することが容易になってきたことと相まって、音楽ファンによるオリジナル盤LP(それ自体の定義の更新作業も含む)発掘競争も激しくなっていった。

 そんなわけで、当時音楽業界にいたぼくは、様々な時期にリイシューされた同じアルバムの複数のLPやCDを前に、大変刺激的ではあったが頭を悩ませる日々に突入していくことになるのだが、90年代後半になったぐらいの頃には、例えばザ・フーの『ライヴ・アット・リーズ』のようにすでに形を変えて何度もリイシューされていたアルバムを普通の音楽ファンが4~5種類も揃えたなんて話も聞こえてきて、スゴい時代になったと驚いたものだった。恐らく今はそんな音楽ファンはちっとも珍しくなくなっているに違いない。その後もSHM-CDやBlu-spec CDというような素材から見直した新種のCDによる再発、そのアーティストの出身国のオリジナル・マスターを取り寄せ、余計な調整を加えずに「フラット・トランスファー」で制作されたCDや、音源のデジタル化の方式を変えて高音質化したSACD(専用のCDプレイヤーが必要だったため、通常CDと重ねて一枚にしたSACDハイブリッド盤というももの存在した)から、ハイレゾ(ハイ・レゾリューション)音源を特殊な方式で「折りたたみ」複数の方法でハイレゾ音源再生を可能にしたハイレゾCDまで、書き切れないほどの種類のフォーマットのCDが考案され、そのたびに同じロックの名盤が何度も何度も再発されてきた。

 全部をコレクションしようとするのでなければ、何種類も存在する中から買えるものを一枚買っておけばそれでいいのではないか? あるいは今だったらサブスクで聴ければそれでいいのでは?と考える人も少なくないかもしれないが、実はそんなに簡単な問題でもない。それらのCDの中には「時代の要請」を受け、かなり極端なリマスタリングになった結果、純オーディオ的には耳に優しくない音になってしまっているものがあったり、上の『レット・イット・ビー』の例のようにリミックスしてオリジナルとは違う感触を持つ作品として仕上げ直されているものがあったりするものもあるからだ。もっと細かいことを言えば、CDのプレスの際に間違ったマスター・テープが使われていて、他とは違う演奏テイクが使われてしまっている例だってなくはないし、レッド・ツェッペリンのファースト・アルバムのようにある時期のリマスター盤は左右のチャンネルが逆になっているなんて例もある。

 そうした場合に、そのアルバムの「標準」となるべきものは一体どれか?ということが気になってはこないだろうか。少なくともアナログ・レコードが主流だった80年代後半までに作られた音楽のものであれば、それは最初にリリースされ、世界中の人に聴かれた「当時の」アナログ・レコードであるべきだろう、というのがぼくの答えだ。多くのリイシューCDも、まずは作品の最初の形であったオリジナルのアナログ・レコードを参考に音の細部の調整はされてきた。ぼくがかつて関わっていた雑誌『レコード・コレクターズ』でも、そうした方向性でCDを制作するリマスター・エンジニアの声を数多く掲載してきた。

 もちろん当時のオリジナル盤と言えば、主にそのアーティストの出身国で最初にプレスされたアナログ・レコードのことを指すことが多い昨今ではある。しかし、そうした盤はかなり入手困難だったり、かなりのプレミア価格で出回っていたりするので敷居は高い。しかも厳密な意味で「初盤」と言われるものは、今や誰がどこでカッティング(音溝を刻む作業)をしたラッカー盤を元にどこの工場でプレスされた盤なのか?という点が問題とされ、その手がかりとなるレコードの音溝より内側のスペースに残された刻印を元にした研究がマニアの間で進んでおり、次々と定義が更新されているという、楽しくもやっかいな状況だったりもする。こちらはお金もすごくかかるし、同じ番号のレコードを何枚買っても平気なスーパーな趣味人の世界と言ってもいいかもしれない。かつて自分がその「道」をもがきながら進みつつ雑誌の企画を考えていた身からすると、万人にはオススメし難いところもある。

 そこで改めて注目したいのが、日本盤のアナログ・レコードだ。洋楽の場合は当時のものでもあくまで日本での、ということにはなるが、海外のオリジナル盤以上に「時代の空気」がしっかりと封じ込められていて楽しい(世代によっては懐かしい)。邦題はもとより、その当時の該当アーティストの日本での紹介のされ方がよく伝わってくる解説文やオビ(当時はタスキと言われていた)に記されたキャッチーな宣伝文句を時代の空気を想像しながら読むのも味わい深い。時代性をより感じさせるという意味では、シングル盤の広大な海も広がっている。

 こちらも「初盤」探しを本格的に始めると、英米のオリジナル盤と同様なスーパーな趣味の世界に入り込んでしまうが(プレミア価格はその上を行くケースも少なくない)、70年代以降に日本でかなり売れたアルバムに関しては、一部のアーティストを除いて難易度はそう高くない。またオビさえ諦めれば意外にリーズナブルな価格のものを見つけられるケースは少なくない。また、ビートルズのように解散後の70年代の再発が日本での人気拡大にすごく大きな意味を持っていたグループもあり、そうしたものをシリーズごと収集対象にしでその時代の再評価の様子を追体験してみるなど、多様な楽しみ方ができるのが日本盤アナログ中古の世界なのだ。

 日本に送られてくるマスター・テープのジェネレーション等の問題もあり、音質的には、必ずしも英米のオリジナル盤と同じというわけにもいかなかったりはするのだが、それでもまだフレッシュで経年劣化のない時期のテープから作られているということは大きいし、実際に海外からは盤質の良さ、丁寧なプレス、そして保存状態の良さから、日本の中古盤は結構高い評価を受けている。日本では60年代から広く行なわれ、CDではほぼ絶滅してしまった疑似ステレオの音像も、オーディオ的な観点からはともかく今聞くと意外な新鮮さがあったりもする。

 音質に関して言えば、そもそも、60~70年代にロックのレコードを聴いていたような子供たちがどれだけ、その盤のポテンシャルを引き出せるようなオーディオ・システムで楽しめていたのか、という論点もある。人気小説家、奥田英朗さんの短編集『家日和』の中の一遍「家(うち)においでよ」では、あるきっかけから主人公が高価なオーディオ・セットを買い揃え、実家にしまってあったロックの古いアナログ・レコード約300枚を持ち込み、夜毎音楽に浸るようになるというところからストーリーが展開されていく、なんて描写があった。2006年に初出となったこの短編だが、主人公の年齢が38歳であったということから考えると、恐らくその300枚のほとんどは日本盤という設定だったのであろう。小説ではあったが、実際に似たような経験をされた方も少なくないのではないか。それどころか、その少し上のぼくのような世代でも、70年代にはアナログ・レコードはまずカセット・テープに録音して、日頃はラジカセで聴いているという時期は長かったし、80年代になってからはそれをウォークマンで聴く、というような体験を経てきている(だから日本の中古盤は痛みが少ない、ということになった可能性もある)。

 そんなことを考えながらこの原稿を書き進めていたら、ちょうどNHKの「ニュースウォッチ9」で、いま日本や世界でアナログ・レコードが人気!という特集をしているのを見かけた(11月4日)。海外や日本の若者の間でのアナログ・レコードの人気が上昇しているというのは、ここ数年何度もいろんな記事になってきたが、この日の特集は少しばかり様子が違った。上に書いたような日本のアナログ中古盤の人気から、今やそうしたアナログ・レコードを大量に買い付けた業者がそれをいったんドイツに送り、そこからDiscogsやebayといったインターネット上の販売サイトを使って世界の顧客に向けて販売する、というようなビジネスまで動き出しているらしいのだ。ここアッサンブラージュでも、ネットで販売しているレコードには海外からの買い手がつくケースか多くなってきていると伺った。日本のシティ・ポップの海外での評価が高まったことも、日本盤アナログの人気の高まりを後押ししているのだろう。長きにわたる円安もその傾向に拍車をかけているのかもしれない。

 何だか日本盤アナログ中古の世界にも、本格的にグローバリズムの波が押し寄せてきたようなぞわぞわした感覚にも襲われそうになる。我々の文化である日本盤アナログ中古の世界ではあるが、存分に楽しむなら今のうちに!ということかもしれませんぞ。

寺田正典

※今回の原稿では話の流れをわがりやすくするために「洋楽ロック」を対象に話を進めたが、「オリジナル」の年代のズレはあるもののジャズでも同じようなリイシューは行なわれてきましたし、日本のロック、歌謡曲でも紙ジャケ再発も含め、状況はある程度重なります。また、もちろん日本の音楽に関しては、日本で当時制作されたレコードがその名の通りのオリジナル盤となります。

寺田正典(てらだまさのり)
1962年生まれ。早稲田大学卒、85年に株式会社ミュージック・マガジン入社。『ミュージック・マガジン』編集部を経て93年から2011年まで『レコード・コレクターズ』編集長。同誌に掲載されていた本秀康氏のマンガ「レコスケくん」では寺さんとして登場していた。現在は太宰府市在住。ローリング・ストーンズのCDやDVD/BDの解説も手がける。著書は『ザ・ローリング・ストーンズ・ライナー・ノーツ』(ミュージック・マガジン/2014年)。

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